« 日本を苛む途方もない孤独感 | Main | 「晴れてよし曇りてもよし不二の山」 »

April 30, 2005

私の「舞踏会の手帳」

随分と前になりますが、「舞踏会の手帳」というフランス映画を見たことがあります。

人生の秋を迎えた一人の婦人が若かりし頃、共に舞踏会でダンスを踊った男性達を懐かしんで、名前、住所を書き留めてあった手帳をたよりに、一人一人を尋ね歩くストーリーでした。ヨーロッパの舞踏会では、女性は手帳を持ち、ダンスを申し込みたい男性は、その手帳に名前を書き込み、女性はその中から男性を選び踊ったのだそうです。何十年かを経て尋ねた男性達の姿は舞踏会の時のように華やいだ甘いものでなく、ある男性は麻薬に溺れ、ある人は恍惚の老人になり、哀愁の漂う映画でしたが、何故か鮮明に記憶に残りました。

4月30日の本日は武蔵大学の講義の日でしたが、講義の後、30年ほど前に下宿していた練馬区桜台の家を尋ねました。予め連絡をしていたわけではなかったのですが、車で大学に行ったついでにふと思い出して尋ねました。車中で脳裏をよぎったのが、「舞踏会の手帳」でした。

私が下宿当時お世話になったおばあさんは既に亡くなっており、今年は7回忌でした。ご存命であれば今年は96歳でした。おばあさんの娘が72歳でその家に住んでいます。当時は40歳台でバリバリの働き盛りでした。看護の分野では全国的に有名な方で、今でも3つの看護大学で講義をしているという話でした。その家に、30歳の姪が居候をしています。クラシックの演奏家の日程調整の仕事をしているとのことでした。

72歳の「娘」さんからは、「久しぶりねー。今は何をしているの。すっかり髪が白くなったわね。ロマンスグレーね。でも、品が出て来たわよ。円熟の中年になってきたのね。」とからかわれました。久しぶりの突然の訪問ではありましたが、結構話が弾みました。

72歳の「娘」さんは、太極拳と歩行で健康維持に心がけているとのことでした。忙しいまま、結婚せずに今日に至っていますが、同居の姪との同居はお互いに遠慮がなく心地よいもののようでした。

私が下宿していた頃は、おばあさんが一人暮らしで、その娘は徳島の大学におり、一人では物騒だということで、たまたま縁あって、用心棒代わりに私が下宿したのです。私は20歳から23歳までの3年間でしたが、おばあさんが長野師範で勉強した頃の思い出、その師範学校の教師と恋愛関係になり半ば駆け落ち同然で結婚したこと、旧家の実家からは随分と反対されたこと、それでも親に迷惑をかけまいと頑張ったこと、ご主人が学歴の割には出世が果たせず随分と辛い思いをしたこと、この家を探すのに随分と苦労したこと、子供達が全国各地に散らばりこれからどうなるか心配であること、親戚の人たちが時々声をかけてくれることが嬉しいことなどを食事の合間などに何度も聞いたことが思い出されます。

7回忌が近々あると伺いましたが、その日はあいにく北海道で結婚式があり、出席できないことを謝ってきました。それでもこの機会におばあさんのことを思い出すことが出来て嬉しく思いました。私にとっての思いがけない「舞踏会の手帳」でした。

|

« 日本を苛む途方もない孤独感 | Main | 「晴れてよし曇りてもよし不二の山」 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/58165/3924220

Listed below are links to weblogs that reference 私の「舞踏会の手帳」:

« 日本を苛む途方もない孤独感 | Main | 「晴れてよし曇りてもよし不二の山」 »