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March 20, 2005

災害エスノグラフィー

3月19日の土曜日に地域安全学会という学会の理事会に出席し、その後、防災面の人材育成システムの勉強会に出てきました。6時間にも及ぶ会合になりました。

防災担当の時の仕事をまだ引きずっているのですが、今の地方財政の仕事も、防災を含めた地方財政面の財源措置をどう考えるのかという観点からは防災と関係が十分にあるのだ、という自分なりの理屈で、地域安全学会に継続参加しています。

昨日の人材育成システムの勉強会には、消防庁や内閣府、国土交通省の参加者の他に、佐土原聡横浜国立大学教授、重川希志依富士常葉大学教授、林春男京都大学教授、川村仁弘立教大学教授、指田朝久東京海上日動リスクコンサルティング主席研究員といった方々が参加されており、住民、企業、行政それぞれのレベルでの防災・危機管理面の人材育成をどうシステム化していくのか、それを制度・評価の面でどうバックアップしていくのかを検討しています。

それぞれの分科会毎に進捗状況の報告とすり合わせを行ったのですが、報告会自体が一つのシンポジウムのようでもあり、大変勉強になるものでした。

重川教授の報告の中で、行政の対応能力アップに向けて、新しい手法で情報を集めつつある旨が報告されました。その手法は災害エスノグラフィーという手法です。

重川教授は、神戸市職員約3500人分の阪神・淡路大震災当時の業務内容などをデータベース化した「同市震災バンク」を活用し、職員個々の苦悩や知恵の体系化を試みる研究を進めていますが、災害現場に直面した職員たちへのインタビューにより「震災体験」を再現し、防災にかかわる人材育成システムの開発を目指しているのです。

この手法として、未知の異文化を聞き取りなどで記録する「エスノグラフィー(民族誌)」という手法を用い、例えば、消防職員らのインタビューでは、震災発生から七十二時間の人命救助にかかわる「災害エスノグラフィー」を作成しています。

その結果、例えば、他の自治体の多くが関心を寄せる避難所や仮設住宅運営以上に、がれきの処理や犠牲者の遺体の取り扱いなどに悩んでいたことが判明し、消防職員への後方支援の手薄さと孤独感、広域応援の重要性などの課題が浮かび上がっているのだそうです。

こうした、災害対応にあたったインタビュー手法による個人の思いの収集は、読み物としてもなかなかのもので、防災マニュアルを読む気がしない人でも、こういうものを読むことによって、臨場感を持って当時者になった気持ちになれるもののようです。

行政関係者だけではなく、民間の人からも話を聞いているとのことです。

その中で、特定分野の対応を任されている立場で、対応に迷っていたときの、「あの人のあの一言」というものが結構重要だという話が、重川教授や林教授からご紹介がありました。

積水ハウスは震災時に、一企業の対応としては異例の踏み込んだ対応をしたようです。従業員は何もそこまで、という気持ちもあったようですが、社長の一言。「これまで儲けさせてもらった恩返しをしようや」。これで儲けを度返しして全社が被災者支援に動いたようです。

西宮市の水道局では、震災による市の水道の被害が甚大で、50年分の事業量が一挙に発生。水道局長へのエスノグラフィー取材では、西宮の財政を考えるとこれを一挙に修復することは難しいと考え全面的復旧計画作成を一時逡巡。これに対して、市長は、「金のことは心配するな。やれ。」

いざというときの、行動を促す「とっさの一言」があるのです。

地下鉄サリン事件の際の聖路加病院日野原重明院長の、「被災者は全員聖路加で受け入れる」、「外来は受付中止」という明確な指示を思い浮かべます。

そう言えば、ということで、私自身の体験をご紹介申し上げました。

私が茨城県に在籍していたときに遭遇したJCO臨界事故では、JCOサイトから10キロ圏の屋内待避を県庁が検討しました。本当によいのだろうか、それによってかえって混乱が拡大するのではないか、ということで、県当局は科学的知見を求め当時の科学技術庁にも相談しました。橋本昌茨城県知事が、最後に決断するにあたって、それをバックアップした言葉がありました。当時の野中広務官房長官の一言です。「緊急事態では、後でやりすぎだと言われるようなことでも、許される」との明確な一言です。

これにより茨城県庁は屋内待避要請を敢行しました。その後、JCOの臨界状態は収束に向かい、結果的には大きな混乱はありませんでしたが、災害対策本部員の一員としての私にとっては記憶に残る一言でした。

あの後、茨城県では、橋本知事の指示により、行政の立場ではありますが、JCO対応を行った全ての関係者から、あの時の反省、どうすべきであったかを、自分自身の対応だけでなく他の人の対応に対する感想も含め収集し、本にしています。実体験と反省を共有し、教訓としていくという趣旨にたつものです。

災害対応にあたった人々の、本音の証言を沢山集めてデータベース化して、それを防災の人材育成にも体系的に生かそうという試みが始まっているのです。

このことは、防災に限ったことではありません。この間、香川県豊島の産廃処理の現状を見てきましたが、実はあの時の行政当事者の反省が、証言として残っておりません。当時あのような対応をしたこと、或いはせざるを得なかったことに関しての肉声がありません。

香川県当局者に聞いても、「豊島住民の運動の経緯については、弁護団の一員であった大川弁護士や報道記者の執筆した本が出ていますが、行政内部の問題点に切り込むような記録書はなく、この問題についての本当の意味での総括というのは、まだできていないのかもしれません。」という声が聞こえてくるだけです。

「豊島問題は、県職員の背負う十字架。自戒、後悔、懺悔、憤慨、タブー・・・立場によっていろんな意味がこもる。」という記事が2年程前のある新聞に掲載されているのだそうです。

「一方で、財政状況の厳しい中、豊島事業に対する県民の目には厳しいものがあり、多くの県職員が、この問題の本当のことを知りたがっているのも事実です」というのも香川県の現役職員の本音でもあります。

記憶の風化は深刻です。風化させないためには、当時の対応を「失敗の本質」風に記録にとどめることです。単に、行政レポートでは駄目で、固有名詞を入れて、「失敗の本質」風に作家か学者にでも記してもらうことが必要です。

豊島産廃は、原因者の某氏が香川県庁に頻繁に出入りし、当時厚生省から出向の環境総務課長に、執拗に迫っていたという話を伺っています。環境総務課長をはじめとした当時の責任者に、災害エスノグラフィーの手法で、インタビューをしておくべきなのです。それが、同じ失敗の来り返しをしないために不可欠なことなのです。


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