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March 20, 2005

あの日あの時 地下鉄サリン事件から10年

2005年の本日3月20日は地下鉄サリン事件から10年です。

オウム真理教の信徒5人が、営団地下鉄(当時)霞ヶ関駅に停車する日比谷線、千代田線、丸の内線の計5電車内で、相次いでサリン入りの袋を先のとがった傘で突き刺し、12名を殺害、5,500人以上にサリン中毒症を負わせた、空前の化学物質による無差別テロ事件です。

事件が起きたあの日あの時自分が何をしていたのか、皆さんもそうでしょうが、私は今でも鮮明に覚えています。自分自身が毎日霞ヶ関駅で乗降していたこともあり、特に記憶に深く刻まれています。

発生時刻は午前8時でしたから、国会のレクなどの関係でいつもより若干でも早く出勤してたら自分自身が事件に巻き込まれていたかも知れません。

私はあの時、当時の自治省税務局で働いていました。ちょうどその日は、その年の1月17日に発生した阪神・淡路大震災の復興支援の一環で、佐野徹治税務局長の随行で、神戸に赴きました。(なお、佐野局長はその数ヶ月後に、消防長長官に異動し、防災や救急救助の制度・運用の責任者になりました。)

東京駅を新幹線で発ったすぐ後くらいでしたか、新幹線車内のテロップニュースが、地下鉄日比谷線の霞が関駅ホームで多数の乗客が倒れる、という記事を繰り返し流していました。

私は、佐野局長に、「変なニュースが流れていますよ、何か大変なことが起こっているようですよ。」、と寝入っている局長を起こした記憶が鮮明です。

神戸に着いて、兵庫県の防災ヘリで、神戸上空から被災の現状を見せてもらい、また神戸港が液状化でやられている惨状などを実見しました。しかし、私は、神戸の現状視察をしながら、持参した携帯ラジオでこのニュースの推移を追っていました。

その日のうちに東京に帰りましたが、被害の全容が明らかになるに連れ、ひどい事態になっていることに驚愕しました。

平成7年は、阪神大震災と地下鉄サリン事件で散々な年でしたが、自分自身が、あの日あの時何をしていたかという観点で改めて振りかえると、この10年の自分の軌跡が改めて分かるような気がしてきます。

ところで、この10年で日本の国の社会経済環境は様相は様変わりしました。しかし、事件後10年たっても、主犯の裁判が決着しないのですから、日本の司法制度のあり方もまた問われているようにも思えます。

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