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March 12, 2005

航空写真で見る終戦直後と現在の東京の対比

3/10は東京大空襲からちょうど60年目でした。2時間余りの空爆で10万人以上の命が失われた東京大空襲では、B-29爆撃機325機が、隅田川の沿岸を中心に約1700トンの焼夷弾(しょういだん)を投下、家屋約27万戸を焼き、東京の3分の1以上の面積を焼失させました。

NHKテレビでもそのことを放映していました。カーチス・ルメイの指揮で、この爆撃は計画されたとのことでした。M69焼夷弾を開発、日本の木造家屋を燃やすのに最も効率的なこの焼夷弾を、実験を繰り返しながら開発したのだそうです。

焼夷弾を屋根瓦を突き破って部屋に侵入させ、そこでゼリー状になったガソリンを四方八方に飛散させ、家屋を内部から焼失させるというものなのだそうです。

倫理観の希薄なルメイは、戦争に駆り出される日本の労働者を「働けなくすること」も、戦意喪失に効果があると考えたようです。戦後彼には、日本の「航空自衛隊創設に際しての戦術指導」の功労により、勲一等旭日大綬章が授与されています。

ところで、官邸に、小泉総理の指示により、終戦直後の東京の航空写真と、同じ地域の現在の写真を並べて展示されているようです。前者は約20年前の米国赴任中に細田官房長官が発掘したものなのだそうです。

この写真を見ると、終戦直後も、皇居は爆撃を免れ緑豊かです。米国は、皇居を爆撃することで、日本人の怒りに火を付けて、終戦を遅らせることを恐れたようです。戦争を有利に進めるためには何でも考える米国は、今も昔も変わらないものだと、この写真を見てつくづく思います。

写真は下記リンクから見ることが出来ます。

※ 終戦直後と現在の東京の様子
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2005/0310b.html


<参考>

カーチス・ルメイについて

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、カーチス・E・ルメイは、第二次世界大戦開戦当初は無名の大尉であったが、その後中佐に昇進し英国に渡り、ドイツ爆撃を指揮。インド・カラグプルに司令部を置く第20爆撃集団司令官として重慶からの八幡製鉄所爆撃に携わり、その後いくつかの爆撃を経て第21爆撃集団司令官としてグアムに移動。第21爆撃集団司令官の前任者ハンセルは武蔵野の中島飛行機武蔵野工場などへの精密爆撃を敢行していたが、その効果が薄いと判断した航空隊司令官アーノルド大将自らの指示により、ハンセルは更迭、ルメイが後任としてグアムに着任。ルメイは高高度からの精密爆撃をやめ、日本の都市、非武装地帯、非戦闘員の住む住宅を焼き払うことが日本の工場の生産を停止させ、日本そのものの戦意喪失になると考えた。 ルメイが考案した日本本土爆撃の主なポイントは次の4点。

・高高度からの爆撃をやめ、低空(1,800メートル以下)からの爆撃
・爆弾は焼夷弾のみとし、最大積載とする
・搭載燃料を最小限とし、防御用銃座ははずす
・攻撃は夜間とする

これにより、東京大空襲をはじめ日本本土の空襲は大成功をおさめた。このほか、ルメイは次々と新戦術を編み出し、敵国民を震え上がらせた。

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