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March 07, 2005

弱肉強食と人々の善意

スペシャルオリンピックス長野国際大会が3月5日終了しました。当初、運営組織段階のゴタゴタで、実際の準備活動が始まったのは、昨年の8月頃。エプソンの安川会長がNPO・SONAの理事長を引き受けて以降、運営が円滑に回りだしたという話を伺っておりました。

ある知り合いの地元関係者から、

・小さなトラブルはあったものの、成功と言える。
・7ヶ月という短い準備期間の中で大量のボランティア(ホームステイ受け入れ、運転、通訳、交通整理、会場整理など)を動員できたのは、オリンピック、パラリンピックの積み重ねがあったからこそ、と痛感。
・知的発達障害者たちを80カ国から迎えた経験が、長野の財産に加えられたことは間違いない。
・ビッグハットで行われたフィギュア決勝を観戦したが、それぞれの能力段階に応じて、よりよい自分を目指して挑戦する姿に感銘を受けた。
・この感銘が「知的に恵まれない人々ががんばっていることに対する同情」と違うものなのか、自分の中でうまく整理できないが、多分、単なる同情とは違う認識の高まりがあったような気がする。

との感想を頂きました。


確かにスペシャルオリンピックスは感銘を呼んでいるようです。様々な観点からも運営も難しい大会を成功裏に導いた長野の当局者は、特に自信を深めたのではないでしょうか。それに加え、単なる「同情」と違う認識の高まりがあったとしたら、それは社会の意識の高まりだとも思えます。大変嬉しく思えます。

一方で、私がふと思ったのは、やや穿った見方かも知れませんが、人々が、今の社会の風潮である弱肉強食に疲れているのではないか、ということです。ライブドアーの若社長の例が適切かどうかは分かりませんが、人や制度の弱さ、甘さにつけ込んで、金に物を言わせて人を支配し牛耳る、そういった風潮に、嫌気がさしているようにも思えます。

人の善意がなければ生きていけない、ましてや競技も出来ない。そういう方々の積極的な社会参加を支えることで、弱肉強食社会への暗黙のアンチテーゼを表明している、のかもしれません。

人はそれぞれの関係において、恒に優劣の比較に怯えています。SOという場で、それこそ、嬉しそうにスポーツに取り組んでおられる方々。昔であれば家族は外に出さなかったし、本人も気にして引っ込み思案になっていたでしょう。今ですらそういうケースが決して少なくないことは容易に想像が出来ます。人々は、SOに自分自身を感じているのではないでしょうか。

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