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March 06, 2005

教育改革と熊野信仰

熊野本宮大社は熊野三山のひとつで、全国の熊野神社の総本宮です。もともとは熊野川の中洲の大斎原(おおゆのはら)にあったのですが、明治22年に大水害にあったため、8社のうち流失を免れた4社を近くに移したものです。

その災害ですが、熊野川の上流の十津川で山地崩壊があり、ダム湖が形成され、それが決壊して濁流が熊野川を下り、中州の本宮大社を押し流した、という大災害でした。

上流の十津川は壊滅状態で、やむなく、北海道の新十津川への移住となったことは歴史的にも有名な話です。

今の本宮は、全国の宮大工を総動員して残った4社を解体して明治24年に移築、漸く今日までこぎつけたそうです。50年前には、宮司もおらず大変寂れたそうです。九鬼家隆宮司の話によると、先代が東京から派遣され、ここまで復興させたとのこと。

「蘇る日本!」という垂れ幕が山門に懸かっていましたが、これは本宮自らの思いでもあるのでしょう。この垂れ幕で思い出しましたが、文部科学省が、「蘇れ日本」という教育改革のプランを出しましたが、これは完全に熊野本宮大社の垂れ幕のパクリです。少し前に、河村文部科学大臣が世界遺産の記念式に関連してここを訪れたとの話を、宮司さんから伺いましたが、その時に、この垂れ幕を見たのでしょう。おもわず、これだ、と思ったことは容易に想像できます。

熊野は、諸々の罪汚れを払いのけ、蘇りの霊験あらたかな信仰でこれまでも人々を全国から呼び寄せていました。小栗判官の蘇生の話などはその代表的なものです。本宮町「湯の峰温泉」の「判官蘇生の湯」を見る機会がありましたが、この小さなお湯自体が世界遺産に登録されているのだそうです。

現代の様々な改革の発想すらも、熊野信仰に結びついてることを再認識しました。文部科学省も、「ゆとり教育」の罪汚れを熊野本宮大社で払い落としたのでしょうか?

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