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February 22, 2005

地下鉄サリン事件と聖路加病院の対応

2005年2月8日 NHKのプロジェクトXを見ました。10年前の地下鉄サリン事件への聖路加国際病院の対応に関するものです。以下、プロジェクトXのナレーション風に番組の内容を掻い摘んでみます。

平成4年東京築地に巨大なタワーが出来た。
聖路加国際病院。フルアーも廊下もやたらに広かった。
日野原重明医師が設計。当時81歳。周囲の反対を押し切っての設計。
日野原医師には東京大空襲の記憶が。当時、病院に入りきれない患者が亡くなっていった。
日野原は新病院の設計に秘策があった。大量の患者を収容可能に。いずれこの施設が必要なときが来る、と。

若手の医師でローテーションを組んだ。救急医療の研修を重ねた。石松伸一医師がリーダーに。

平成7年3月20日 午前8時02分。霞ヶ関駅でドアーが開いて多くの乗客が倒れ込んだ。

聖路加救命センターに電話が入った。東京消防庁から何人引き受けられるか、と連絡。列車の中でシンナーを蒔かれた、と女性が歩いてやってきた。火傷といった通報なのに、外傷が無く、心臓が止まっている患者がいた。

原因が分からないまま、治療。蘇生マッサージ。聖路加病院は大騒ぎに。次々に運び込まれる患者が呼吸停止。

地下鉄の状況を見てくるように指示。築地駅に200人くらいが倒れていた。
その時救急隊から言われた。「どの病院も受け入れる余裕がありません」。

その時院長の日野原が現れた。「今日の外来は中止」、「患者は全て受け入れる」。「はじめからこの病院は大災害対応と決めていた」。「軽症患者は礼拝堂へ運べ」。

壁の配管に人工呼吸器を取り付けた。礼拝堂は広い病室に早変わり。

重症患者の運ばれた救命センターでは必死の蘇生作業。

筋肉の麻痺で呼吸が止まっていく。硫酸アトロピンでは利かない。
患者の目を覗いたところ、縮瞳。有機リン系の農薬中毒に典型。
しかし農薬であれば飲まないとそうならない。

松本サリン事件の記憶。果たしてサリンかどうか。パムは特効薬。
しかし副作用がある。原因が分からない段階で使えるものかどうか。

決断が迫られた。

事件発生から一時間で200名を超える患者。パムを使うか皆が決断を迫った。
奥村徹医師が決断を迫った。判断の材料が欲しかった。

患者が人工呼吸状態に。このままでは患者が死ぬ。
この時、松本の柳沢信夫医師がテレビを見た。瞳が小さくなっているとの報道に接した。
松本サリンに似ている。聖路加病院に電話をした。この連絡でパム投与を決断。

重症患者8人に投与。30分後、「パム、利きました」。痙攣が消えた。

その時薬剤部では大問題。パムの在庫が20人分しかなかった。
名古屋のスズケンだけがパムを扱っていた。230人分が集まった。

非番の看護婦達も集まっていた。臨時の血液検査コーナーが作られていた。
皆、もたもたしないで行動した。

新たなパムを患者に次々に投与。聖路加の1200人のスタッフが無差別テロに立ち向かった。

日野原院長の「全て受け入れる」との言葉で、現場の医師が腹を決めた。

10年たっても後遺症で呵まれている人が多い。石松医師は追跡調査をやっている。

「ああいう試練を受けると人間は成長するんだよ」と日野原院長。

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