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February 22, 2005

両税委譲運動失敗の轍を踏まぬ為に

日本の戦前の財政調整制度の実態と変遷に関して、横浜国立大学の井手英策先生が詳しく調べておられます。先生から伺った制度の歴史と今日への教訓に関し、以下まとめてみました。

なお先生は昨年8月の「地方財政」(地方財務協会)にも論文を書かれています。こちらもご覧下さい。三位一体改革議論に際しては、セイフティーネットたる交付税の機能維持が不可欠だとの論証になっています。

1 古典的地方自治の時代
・官選知事の時代。
・一定の課税権と起債権。
・付加税主義だが財源不足が明らかになると課税強化。制限税率は事実上あってなきがごとし。
・比較的自由な起債。自治体の異常な地方債依存度の高さ。

2 1918年市町村義務教育費国庫負担制度 1920年代の両税委譲運動
・国庫負担制度負担金1000万円の90%について、教員数と就学児童数で比例按分。残りの10%を財政力が薄弱な団体に傾斜配分。
・特定補助金でありながら地方財政史上初の財政調整機能を併せ持つ制度。
・町村財政困窮に伴い、財政調整機能拡張の声。漸次増額。財政調整機能部分のウェイトが高められた。教育補給金的な性格から次第に乖離し財政補給金としての性格を強めた。
・両税委譲運動は地租と営業税の地方委譲を試みた政友会とこれに対抗した憲政会の政治論争。農村的利害を代表する政友会と都市的利害を代表する憲政会。
・義務教育費国庫負担が制度化し急速にその地位を高めた一方で、両税委譲運動は財政力格差の拡大、負担金制度を通じた財政調整への要望、政治的対立の深刻化により次第に議論の表舞台から姿を消していく。
・中央政府の財政調整の仕組みに支えられない限り、両税委譲はおよそ想定し得ないと考えられた。
・1910年代後半から20年代の財政運営を賄ったのは、地方債収入。高金利の起債が急増。町村債では特に1割を超す金利のところも。これが昭和初期の利子負担増に。これが後の財政調整制度の提案に結びつく。
・自治体財政危機の背景。第一次大戦後の関東大震災、金融恐慌、昭和恐慌といった経済の長期停滞局面。国債大量借り換え期を迎え、国が新規債の非募債方針をとった。教育費をはじめとする農村財政への重圧、大戦後の都市化を反映した財政需要の勃興。これらにより、地方債が増発され累積した。
・自治体の財政不足をマクロ的に保障するシステムが未成熟のなかで、自律的な税率操作、起債が行われた結果、増税競争、債務の累積が進み、自治体は破綻寸前の財政危機に追い詰められた。

3 高橋財政
・1931年から1936年2.26事件までの高橋是清蔵相の時代。一連の積極財政。
・井上準之助蔵相による井上財政では、金本位制への復帰、緊縮財政。世界恐慌の訪れと深刻な経済危機(昭和恐慌)。
・自治体の歳入不足と租税負担、債務の急増が致命的な水準に。財政調整制度の導入が積極的に論じられるようになった。
・自治体の税収不足は義務教育費国庫負担制度で調整されていた。町村の中には、教員俸給の98%まで国庫負担を受けているところができ特定補助金による調整では対応が困難になった。
・1931年大蔵省の「国庫交付金制度案」、1932年内務省の「地方財政調整交付金制度要綱案」。都道府県税を国税移管により国庫収入を増やし、それを原資に人口基準を中心としたシンプルな財政調整を目指した大蔵省。内務省は、所得税、相続税の増徴、奢侈税の新設により得た財源を都道府県4割、市町村6割で配分し、人口、住民資力、自治体課税力、特別事情等を勘案しながら中小自治体への傾斜配分を試みた。
・地方債の元利償還まで含めた財源保障にまでは踏み込んでおらす、限定的な案。
・大蔵省は財政調整制度の導入に極めて消極的で、高橋是清自身も「自力更生」論を強く主張していた。高橋の主張は典型的なモラルハザード論。財務省の主張とマッチし、財政調整制度の導入構想は挫折。
・一方で、財投資金の積極的活用により、地方の財源不足を政府資金で補填する仕組みが整えられた。財政調整制度によってではなく、政府資金により裏打ちされた地方債政策により、国による新たな地方への関与を可能とした。
・新規国債の日銀引き受け発行により補助金が急激に増大。起債許可も緩和。補助金と起債による財政統制方式の全面化により、自治体財政運営は国のマクロ的経済運営政策に密接に連動。地方の財政難も一掃、財政調整制度の導入論議も雲散霧消。
・しかし、日銀資金に頼った地方財源不足解消策は長くは続けられない。高橋財政の後半、1934年後半から35年頃には健全財政への回帰が叫ばれるように。
・軍部からの熾烈な予算要求。大蔵省のテクニカルな財政運営。会計間操作による国債削減、支出の後年度への付け替え、地方の補助金カットと地方債の許可の厳格化。これにより、国債発行を削減しながら軍事費を増大。地方財政は緩衝材に。
・長期停滞による財政疲労は解消できず。19335年には中央ー地方の事務再配分に関する内閣審議会中間報告が提出される。国政委任事務(機関委任事務)の弊害とそれに伴う財政負担の増大を鋭く指摘。
・事務再配分は手つかずに。応急の措置として、臨時町村財政補給金が制度化。
・事務再配分と財源保障という現代的な課題が突きつけられたにも拘わらず、大蔵省が健全財政路線を優先させた結果、分権化は先送りされ、一時しのぎの補給金として解決が試みられた。
・その後、交付税の原型は戦時財政の産物として誕生、戦後へと継承。平時の制度としては導入できず。
・戦時に必要な財政需要は1940年改革によって、税源の中央集中と同時に制度化された地方分与税を通じて財源確保された。

4 今日への警鐘
・税源移譲を行う際に、財政調整制度の縮小を行うのは論理矛盾。財源の安定性を欠いた分権議論は空理空論になる可能性。財源保障は地方自治の大前提であり、この点は三位一体改革の中で強調されるべき。


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Comments

見つかってしまいましたね。井手先生の所論を分かりやすく要約して、三位一体の議論に役立てたいと考えたのが本意です。苗字の誤りは申し訳ありませんでした。直ぐに直しました。引き続き宜しくお願いいたします。

Posted by: むーさん | March 14, 2005 at 01:10 PM

 こんなところでお目にかかるとは!ビックリです。自分の書いたものの情報を収集するのによく自分の名前をグーグルで検索するんです。私は井「手」なんですが、自分でも間違って井「出」と入力してしまい、このブログにたどり着きました(笑)。
 本人以上に的確な要約に驚いていますが、僕の想いはまさにこのページのタイトルどおりです。絶対に省庁対立で終わらせてはいけないですよね。また、近いうちいろいろとお話を聞かせてください。

Posted by: 本人です・・・。 | March 14, 2005 at 12:49 AM

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