« 横須賀ストーリー | Main | 霧島連山 »

January 09, 2005

伊奈半左衛門忠順

以前から読みたいと思っていた新田次郎の「怒る富士」という本の初版を、たまたま古本屋で手に入れ、上下2巻を読むことができました。一昨年のお盆に松本の縄手通りの古本屋で偶然見つけたもので、以前から欲しいと思っていた本なので、見つけたときは思わず嘘かと思いました。

富士の宝永噴火で最大の被害を受けた駿東郡59カ村を中心とする復興に向けた努力と、それを支えた幕府関東代官伊奈半左衛門の熱意あふれる努力を読みやすいタッチで書いたものです。

今から298年前に実際にあった「宝永・富士大噴火」を題材にした小説です。富士山クラスの火山が大噴火するとどうなるのか、江戸時代長期にわたり住民、藩、幕府を悩まし続けた災害復旧の実態を分かりやすく読み物としたもので、先頃政府が作成した富士山ハザードマップ作りにも、少なからぬインパクトを与える内容となっています。

特に、降灰処理に苦労した江戸幕府・地元の苦心がよく書かれています。降灰被害の大きい小田原藩などの領地の一部が、「上知」され天領となり、幕府の責任で復興事業がなされ、何十年もたって復旧後、旧藩に復帰しています。幕府が、復旧が困難とした地域は、「亡所」とし何もしないという判断をしかけたこと、それに対して、何とかしたいという努力を傾注した正義感の強い幕府官僚もいたようです。

降灰処理作業、河川事業などのために、当時幕府は各藩から石高百石につき2両、十万石であれば二千両、全国ベースで四十八万両もの徴収を行ったものの(当時の幕府の歳入は例年七十六から七十七万両)、幕府は実際には、集めた金の数分の一しか富士山対策に使わなかったのです。そして、河川改修の事業は、幕府が「大名普請」により各藩に担わせたものの、結局、その工事は川の氾濫を防ぎ得ず、何十年もかけて酒匂川から海に砂が排出されることを待つしかなかったとのことです。この工事の責任者は、伊奈半左衛門忠順であり、利根川河川改修をした人物で、幕府の土木工事の責任者でもあったのです。この伊奈半左衛門が対峙した相手は、勘定奉行荻原重秀で、半左衛門は復旧に金を惜しむこの幕府金庫番に相当苦しめられています。

江戸では、降灰で江戸町民が軒並み風邪をひき、「これやこの行くも帰るも風ひきて知るも知らぬも大方は咳」という狂歌がはやったことや、吸い込んだ灰にコンニャクがよいということで、江戸でコンニャク需要が増したこと、また降灰の厚さにより、「砂退け」と「砂掃き」という言葉の使い分けがあったことなども紹介されています。

ところで、伊奈半左衛門という人、当時の幕府の財政危機の中でも、被災地の救援のためにその立場を越えて尋常ならざる努力を行った事実が迫真のタッチで書かれ、「役人」としては、大いに鼓舞されるものがあります。結果として、半左衛門はやりすぎを咎められ、切腹ということになりましたが、伊奈神社という社で祭られるほど駿東郡では慕われているのだそうです。

|

« 横須賀ストーリー | Main | 霧島連山 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/58165/2513736

Listed below are links to weblogs that reference 伊奈半左衛門忠順:

« 横須賀ストーリー | Main | 霧島連山 »