ベトナム戦争の後遺症
米国社会のジレンマ、と言うには大袈裟かも知れませんが、少し前に、コロラド大学の政治学のスタインモ教授から深遠な話を伺う機会がありました。
最近の米国の政治学議論の潮流を伺う中で、これまで疑問に思っていたことでその答が見つからなかった話の結論を伺えた感動を覚えました。
それは、「何故米国民はイラクに対する戦争を支持したのか」ということです。支持する階層は、一般大衆だけではなく、インテリ層もあるのです。冷静なはずのインテリ層も支持する理屈を図りかねたのです。
スタイモ先生は、「ベトナム戦争の後遺症がある。あの戦争で米国民は、戦争で心に傷を受けた兵士を、戦争に負けた兵士、国を救えなかった兵士、ということで尊敬をしなかった。その結果、国の指令で異国で戦った兵士はプライドを失い、社会的にも国のために戦ったということが決してプラスにならず、米国の社会にとって非常に悲惨な事態を招いた。その反省が米国民にはこびりついており、戦争の原因の如何を問わず、国のために働いている兵士の足を引っ張るような議論を米国内で行うことに対しては、利敵行為、非国民というような雰囲気が生まれ、それは本来自由な議論を戦わすべき学会においてすら重苦しい雰囲気を生じさせている。その結果、ブッシュ政権は、救われることになっている」という趣旨のことを語っておられました。
私には、それでもなかなか理解しかねる面がありますが、なるほど、そういうことか、と眼の鱗が落ちたような気がしました。そういう観点で日本の現状を見るとどうなのでしょうか。やはり、イラク派遣に関して、派遣の是非はともかく、実際に国の命で派遣されている自衛隊に対して、命をかけた使命を果たしている若い隊員の足を引っ張るようなことはしたくない、というのも日本人の正直な気持ちにあるように思えます。
米国においては、その度合いが、ベトナム戦争の忌まわしい記憶を引きづり更に強いということなのでしょう。
スタインモ先生の話を時々伺うことがあります。お会いするたびにそのフランクさ、実直さに感動を覚えます。謦咳に触れ、良い勉強をした晩でした。
« キューバの教訓 | Main | 中国とのつき合い方 »
The comments to this entry are closed.
Comments