カーチス・E・ルメイ
今年の3月10日は東京大空襲の60回目の追悼日です。昨年、何の気無しに日曜の夜の番組のNHKアーカイブズを見ていたら、昭和53年の「NHK特集 東京大空襲」が再放送されていました。
今年は60周年なので、ひょっとしたら再放送があるかも知れません。期待しています。
ところで、当時、爆撃命令を出したのは、39歳の空軍少将カーチス・E・ルメイ氏で、驚いたことに、この爆撃は、米国の参謀本部に計らずに、ルメイ少将の、軍歴をかけた独自の発想で企図した攻撃だったようです。直前までワシントンに計らずに準備したとのこと。
昭和20年3月10日の夜間低空焼夷弾による攻撃で、10万人を超える死者が出たのです。この爆撃を境に、70の都市に延べ100回に上る無差別爆撃が始まったのだそうです。
ルメイ少将は、その後、空軍参謀総長にまで昇りつめ、政府から、航空自衛隊の育成に貢献したとの理由で、勲一等旭日大綬章という最高位の叙勲を受けています。
東京大空襲の時には、空襲が始まっても直ちに警報が発せられることはなく、当時の一戸参謀は、深夜の空襲警報により、首都が混乱に陥ることを懸念して、警報発出の判断を遅らせたとの番組放送でした。
カラカラの天候で北風が強く、焼夷弾を受けて燃え盛る中で、人々は体を「燃やしながら」逃げたのだそうです。家の窓を守った人がかえって助かり、身軽で外に逃げた人が、火の勢いに負けて帰らぬ人になったとのことでした。火災により酸素が奪われ、動力ポンプが動かなかったとの証言もありました。なにやら、関東大震災の時のことを思い出させるような話です。
3月10日は、日本軍の陸軍記念日で、東京大空襲があった中にもかかわらず、陸軍の行進が行われ、翌日の新聞には、行進の模様が掲載されたようです。10万人が焼け死んでいる中で、です。実に戦時中の報道統制は厳しかったのですね。
ところで、元NHK記者の秋山久さんは戦時中の空襲の話に詳しい方ですが、この方からは、「東京大空襲」の再放送に関連、以下のお話しを伺いました。
・あの日、東部軍司令部以外では、B29の大挙北上の情報について放送することを許可していた。
・本所・深川をターゲットにした理由について、ルメイ将軍は番組の中では答えませんでしたが、自伝の中で「日本の都市の家屋は、すべてこれ軍需工場なのでそれを破壊したのだ。」と述べている。
NHKのこの番組は、過去の番組ストックを少しずつ紹介してくれるものです。「アーカイブス」というタイトルが示す通り、番組の性格上から、質的に高いもの、現在の社会にもそれなりのメッセージ性を持っているものを選んでいるようで、当時、それぞれの番組を制作した関係者の問題意識、意気込みが伝わって来るものが多いと感じています。
NHKは、埼玉県の川口市にアーカイブス専用のビルを建設し、そこに、過去の番組をデジタル保存しています。そこを訪問すると、各自が自由にリクエストして、保存番組を見ることができます。
NHKは現在いろいろ問題を抱えてはいますが、公共放送ならではの質の高い番組作りに貢献してきたものと考えています。これからもしっかりやってもらいたいと応援しています。
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