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December 23, 2004

富士山現地調査

一昨年の正月明けに、富士山が噴火するかもしれないという可能性を前提に、噴火の際に備えるべきことを前もって検討しておくという政府の検討会の現地調査に随行しました。

半日、火山学者、地元自治体を交えた意見交換を行い、翌日は午前中に富士山の噴火の形跡の現地視察を行いました。1707年に宝永の大噴火があって以来富士山は静かですが、現在活動期に入ったといわれております。

地元でもだいぶ関心が出てきています。私も有珠山、雲仙普賢岳などの火山災害現場を見ましたが、火山のスケールは大きいとつくづく思います。

冬ともなると富士の裾野は流石に寒いものです。といっても、火山学者と「富士山山体崩壊」の現場を通り、295年前の宝永噴火の降下物の堆積現場を見、5000年にも及ぶ降下物のボーリング現場を見、平安時代の貞観溶岩流のすさまじい量を見せつけられるに付け、今まで単に通過していただけの富士山に対する見方が変わりました。

火山の歴史から見ると富士山は、大変若々しい活火山なのだそうです。

今の富士山の形になったのが1万年前くらいで、その後も活発な活動を続け、2500年前には、大規模な山体崩壊が起こり、今の御殿場あたりは、その時の崩落土砂で埋まったのだそうです。

その後の火山活動で、また山体が復活し今の姿になっているのだそうです。

1707年には、宝永噴火が起こり、700億立米の堆積物が周辺にまき散らされました。江戸も真っ暗になり、その時の様子は、新井白石の「折りたく柴の記」にも書かれています。私は、「折りたく柴の記」の現物を、国立公文書館で見ました。

新田次郎の「怒れる富士」という小説には当時の被災地の苦悩がリアルに書かれています。

富士山の地下には、プレートが通り、大量のマグマが供給される構造になっているとのこと。このプレートは駿河トラフにつながっており、東海地震と富士山噴火は、ひょっとすると同じ時期に起こるのではないかと予想する学者もいます。東大の寒川教授はその一人です。地震と噴火が一度に来ると、大変なことですが、現に、歴史的には同時期に起こっていることが何度も確認されています。

地球物理の先生や、地質学の先生、災害情報の先生と一緒に回っていると、何やら、高校時代の地学の授業を思い出しました。あのころもこのようにフィールド学習があれば、理科が好きになったのに、とふと思いました。ある意味で、仕事を通じて、遅れてきた「異分野の向学心」を満たしています。子供達を連れて「耳学問ツアー」を再度試みようと思います。

とは言っても、火山学者の先生は、火山は怖いが、それと同時に、各種の恵みを与えてくれる物であり、共存していくことが必要である、と繰り返し繰り返し言っております。私もその通りだと思います。

少なくとも、人間同士の殺しあいで亡くなった人の数は、火山災害で亡くなった人々の数よりも圧倒的に多いのですから。

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