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December 24, 2004

今世紀前半の巨大災害等に備えるために

21世紀は自然災害の世紀であるということが言われ始めています。東海地震、東南海地震、南海地震の発生が高い確率で予想され、首都直下地震の可能性もあるとされ、政府ではそれらを想定した中央防災会議の専門部会を立ち上げています。火山災害の可能性も議論されています。

地震考古学の東大生産技術研究所寒川教授は21世紀前半における巨大災害の可能性について過去の災害履歴から次のような指摘をしておられます。

  ・地震には100点満点の地震がある。1707年の宝永地震がそれで、この時には、南海トラフが全て割れて、南海、東南海、東海地震が同時におきた。そしてその4年前、1703年には相模トラフが割れ、江戸が元禄大地震に見舞われた。元禄地震は関東大震災の4倍の大きさで、マグニチュード8.3の巨大地震だった。そして、1707年の年末には富士山までが噴火し、この富士の宝永噴火で江戸が真っ暗になった。これが様々なハザードが一斉に重なるという意味で日本においては「100点満点の地震」である。
  ・一方で、昭和19年の昭和東南海地震、21年の昭和南海地震は、これらに比べると小さく、したがって東海地震の震源域が割れ残ったとされている。南海トラフの地震には一つの特徴があり、南海地震が大きいと東海地震が一緒に起こる一方、南海地震が小さいと東海地震は起きない、という連動性がある。その意味では、東海地震はこのまま起きず、次の南海、東南海地震が起こる時に、一緒に起こる、そして、昭和東南海、南- 海地震が比較的小規模で済んでいるため、地震エネルギーの放出が中途半端で、その後新たに蓄積さ れたエネルギーは、時期的にはそう遠くない時期に大放出される。それは 21世紀前半、2020年から40年の間ではないか、そしてその際には、関東地震が引き続いて起こる可能性も十分ある。場合によっては富士山も噴くことに・・・

自然災害に関しては、こうした高度に発達した文明社会を襲う可能性を前提に政府も中央防災会議という総理大臣をトップにした場で、巨額の研究費を投入し、全国ベースの叡智を集め、被害想定を行い、対策を練り、年度計画まで立てて対応策を講じようとしてきています。それでも、寒川教授が指摘するような事態が起こった場合には、正直申し上げ、有効に打つ手はないとされています。そこで、国民それぞれの立場で、最低でも数日は、自力で生き延びて頂き、その後に、救援を待つ、ということが想定されている状態です。我々の生きている時代か、その子供の時代か、に必ず遭遇する大きな危機に、今から心して備えていく必要があるということです。

何百年か前にも同様のことは繰り返されてきましたが、都市化が進み、地域社会の絆が薄れつつある中で、いざ大災害が起こった場合の被害は過去にない規模に上ることが予想されています。阪神・淡路大震災でさえも、災害の履歴から見ると、我が国においては10年に1度の確率で起こる比較的ありきたりの地震であることが一般の地震学者の考えなのです。たまたま、20世紀の後半においては、こうした大都市近郊での地震の発生が極めて希であっただけ、ということなのです。その様な中で、自然災害に対する今後の対応を公民挙げて真剣に議論していく時代になっています。

一方で、昨年9月11日の米国同時多発テロが起きて以降は、従来の地方公共団体や消防の任務の性格に、新たな局面を帯びた感がります。大規模テロ対応という仕事です。テロ対応に関しては、基本的には警察当局などの仕事であり、地方公共団体や消防の仕事ではないのではないか、という考え方がこれまでは一般的でした。実際に、同時多発テロ発生後、消防庁から全国の地方公共団体に、テロ対策本部などの設置を促す要請を行ったところ、当初は、テロ災害に関する災害対策基本法の適用の可否について疑義を挟む団体があったり、テロ災害は地方公共団体の仕事ではないとの考えを表明する関係者も無いわけではありませんでした。入り口論でもめたのです。

しかし、現在では、その様な立場をとる団体はありません。地域住民が現実に被災する状況を目の当たりにして、地域住民の安全を確保すべき地方公共団体が、「これはテロ災害だから自分の仕事ではない」と言って責任放棄できるわけはないのである。その認識が徹底しました。

この点に関して、米国では、「合衆国対テロ方針」(1995年大統領令第39号)の中で、テロに対する対応を、「危機管理(Crisis Management)」と「被害管理(Consequence Management)」に分け、対テロの「危機管理」としては、事案の犯罪的側面に焦点を当て、事案の防止、解決を主眼とする警察活動を想定しするのに対して、対テロの「被害管理」としては、実際に起こった事態への対応であり、被害、損失、苦痛、苦しみを軽減することに主眼がおかれ、住民の健康と安全を確保する支援活動であり、地方公共団体が主体となり、連邦政府においてはFEMA(現在は本土安全保障省に一部)が主導的役割を担うものとされています。

原因がテロであれ何であれ、起きた被害事象を軽減する仕事が、地方公共団体や消防の責務であると考えることが、世界のどこの地域でも常識なのです。

さて、大規模テロよりも更に継続的に大きな被害が想定されるのが、外国からの武力攻撃を中心とする「有事」への対応です。現在、有事法制ができあがり、その大きな柱としての国民保護法が施行されています。

国民保護法制の中で位置づけられる政府の役割はもとより大きなものがあります。いわゆる「外交努力」の失敗の延長線上としての武力攻撃であるとするならば、その対応責任は国の責務であると考えるのが当然であるからです。

その一方で、地方公共団体の責務も大きいものがあります。地域社会において「住民の生命、身体、財産を保護する使命」を有する立場から、「必要な措置を実施する責務」があることに異論を挟む人はいないはずです。

諸外国で一般的に「民間防衛」と呼ばれるこの仕組みは、1949年のジュネーブ条約追加議定書61条でその定義がおかれています。「敵対行為または災害の危険から一般住民を保護し、一般住民が敵対行為または災害の直接的影響から回復するのを援助し、また生存のために必要な条件を提供すること」を意図した警報、立ち退き、避難所の管理、燈火管制措置の管理、救助、消防、危険地帯の探知及び表示などの「人道的職務の一部または全部を遂行すること」が民間防衛の定義であり、その上で、民間防衛団体及びその要員は、「尊重し、保護しなければならない」、「その目的に使用される建物、器材、避難所は攻撃してはならない」とされています。

しかし、このジュネーブ条約の追加議定書にこれまで我が国は未加入で、ある意味で、我が国に対して武力攻撃があったとして、我が国の国民保護のための各種団体や避難所なども、条約上は、攻撃されてもやむなしという宣言を、間接的に日本国として行っていることと同義の状態に置かれているのが、従来の日本の位置づけになっていました。国際条約上は、日本国民は、実のところ、「無防備な立場」に置かれ続けてきました。今回漸く加入の運びとなりました。

同様の話は、全く意外な局面で耳にすることもあります。公共事業のあり方に関して、ある省庁の依頼調査で、経済学者の一団が北海道にある自衛隊の施設に出向いた際に、そこの将官が、「この陣地は海からの敵の攻撃に十分に耐えられるのです」と誇らしげに説明したのに対し、団長格の学者が、「ところで敵とこの陣地の間にいる住民の安全は誰が守っていくことになっているのか」と質したところ、その将官は一瞬沈黙し、たじろぎ、「それは自衛隊の仕事ではありません、(当時の)自治省とか地方自治体が考える話です」と述べたという話が伝わっています。

日本の場合は、「防衛」という仕事はあるが、「何のための防衛か」ということが必ずしも十分に国民的なレベルで議論されていないような気がします。武力攻撃から国を守るための仕組みの本来の目的、理念は、そこに居住する国民を守ることであるはずです。そのためには、軍事的観点からの法制や仕組みと並行して、国民保護を目的とする法制を適切に整備していくことが何としても必要であったのである。

こうした議論がこれまで国家的議論の場で放置されてきたことは、異常でした。とにかく我が国には、ごく最近まで、ジュネーブ条約の追加議定書の正式な日本語訳もなかったし、コンメンタールも作られてきていないのです。こうした分野を専門的に研究する法学部の学者もいません。安全保障や民間防衛といった分野の議論が、国会だけでなく、アカデミズムのなかでもまともに検討されてきてはいなかったのです。

これまでは、「民間防衛」というと、戦時中、日本軍が国民を保護するどころか投降を禁じ、軍隊と共に自決などを強いたこと、日本軍が国民を竹槍で武装し戦争行為の手段として使おうとしたこと、敗戦時に満州に開拓民を放置し、軍部の指導層がいち早く内地に戻ったという事実があったこと、という忌まわしい記憶があるために、まるで国民を戦争に追い立てるものであるかのようなイメージが先行し、思考停止に似た拒否反応が生じ、冷静な議論が行われにくい雰囲気が確かにあったと言わざるを得ません。

国民保護法制が施行され、自然災害から武力による侵害まで、トータルとしての被害管理対応がようやくでき上がります。高度に発達した文明社会にふさわしい、制度と運用の実が上がるように期待したいと思います。そのためには、国民的な関心ももっと深めなければなりません。

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