悪手と妙手、一局の勝負と十年百年の勝負
以前NHKの深夜ラジオを聞いていて、なるほどなあと思うやりとりがありました。囲碁の加藤正男さんと将棋の某氏の対談のようなものだったと記憶しています。
加藤さんが、「囲碁には悪手というものがある。しかし、悪手は絶対的なものではなく、相手がその手を咎めて弱点をついて初めて悪手になるのであり、仮に相手がうまく咎められない場合非常によい手、妙手になる場合がある」という話をされておられました。
私も囲碁を多少やりますが、まさにそのとおりであり、無理筋の強引な手が、相手の咎めが緩慢だと、強引な手が非常に強力な手として相手を負かす手になることが往々にしてあります。
翻って、イラク戦争ですが、米国の強引な手は囲碁の世界では「悪手」なのだと思いますが、いろいろな事情でその強引さがまかり通ってしまうことがあります。
フセインが見つかったり、リビヤ政府が全面服従となったり、いろいろ興味深い副産物が出てきています。
一方で、囲碁の勝負には、一局の勝負、一年の勝負、十年の勝負、百年の勝負、千年の勝負という視点もあるようです。その勝負での勝ち負けの有り様が中長期に見てどうか、という考え方のようです。
この観点から見て、アフガニスタン、イラクでの勝負に勝利したことがその後の米国の交際社会の中での位置づけにどう響くのか、なかなか興味深い視座だと思えてきました。
その道を極めた方々の視座は現代社会の事象を分析するのにも大いに参考になるものだと、改めて感じました。サミュエル・ハンチントン教授に会う機会があれば、こうした日本の伝統ゲームの達人の視座を是非紹介してみたいものだと思いました。
The comments to this entry are closed.
Comments