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December 23, 2004

浅間山の噴火と鎌原の悲劇・復興

以前、浅間山の火山災害の勉強会のツアーで東麓の嬬恋村から軽井沢経由で戻ってきました。

天明の大飢饉のきっかけとなった1783年の浅間山の噴火の際、鬼押し出し下流地域の蒲原地区が570人のうち85%の477人が、火砕流と土石流の混じった流れに集落ごと飲みこまれた歴史があります。

現在、当時の被災地の真上に、鎌原の集落が復活して今日まで来ていますが、その際の残された家族の物語を聞いてきました。話し手は、群馬県の文化財保護審査会会長の松島先生と東大の荒牧名誉教授でした。

当時、残された村人は、夫を亡くした妻は妻を亡くした夫と、親を亡くした子は子を亡くした親と、新しい家族をつくって村の復興に取り組んだのだそうです。93人が30組の新しい家族を作ったのだそうです。その際、それまでの身分の高い低いや貧富の話などはこの際持ち出すことはやめよう、と申し合わせたのだそうです。

昭和54年に、一部の集落や村人が避難したお堂を発掘して、その際、土砂で埋まっていたお堂の石段で、年輩の婦人とその人を背負ったまま息絶えていた40代の女性の遺体を発見したことがあったそうです。松島先生と荒牧先生はその時の発掘の責任者だったのです。

災難を克服するために、新しい家族を作ったり、集団結婚があったり、人間社会はいざとなるといろいろな「工夫」を試みるものですね。究極の助け合いです。私はこうした工夫をしなくてもすむような人生を祈っていますが。 


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