« 働きながら大学教授になる方法 | Main | 浅間山の噴火と鎌原の悲劇・復興 »

December 23, 2004

エルトゥール号遭難事件

知り合いの飲み屋のママさんからよい話を仕入れました。こういうエピソードを教科書に復活したいですね。「稲村の火」も同じように。
                 

「エルトゥール号遭難事件」

1890年(明治23年)9月16日、トルコ皇帝ハミル2世が特使一行を日本に派遣した。船の名前はエルトゥール号。
エルトゥール号は、帰路、暴風雨に遭い、和歌山県串本町沖合で岩礁に衝突し遭難した。

この事故で、特使を含む518名は死亡。死を免れた69名は、地元民の手厚い救護により、一命を取り留めた。

この時、村人たちは、台風により漁ができなくなり、自分たちの食べるものさえ無くなってしまう状況にあった。それにもかかわらず、非常時のために飼っていた、最後に残ったにわとりまでをも、トルコ人に食べさせ介抱したのだった。
また、遭難者の遺体を引き上げ、丁重に葬った。

この話は、和歌山県知事から明治天皇にも伝えられた。その後、遭難者たちは、明治天皇の命により軍艦2隻でトルコに送り届けられた。このことは、日本中に大きな感動を与えた。 この話に同情した「山田寅次郎」という人物が、
一民間人として新聞社などの協力を得ながら全国を歩いて義捐金を集め、それを携えてトルコに渡った。

1892年4月4日、イスタンブールに上陸した山田は、外務大臣サイド・パシャに義捐金を手渡し、皇帝アビドゥル・ハミト2世に拝謁した。

山田寅次郎はトルコ側の要請で、そのままトルコに留まった。日本語を教え、日本とトルコの友好親善に尽くした。
この時の教え子の中に、後にトルコ共和国初代大統領となる、ケマル・パシャ(アタチュルク)がいた。

そして、約100年の時を経て、イラン・イラク戦争。「なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか!」

元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は、
「エルトゥール号の事故に際して、日本人がしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥール号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」
と語った。

|

« 働きながら大学教授になる方法 | Main | 浅間山の噴火と鎌原の悲劇・復興 »

Comments

トルコには2度旅行しました。友好的なトルコの人々の気持ちの影にこんな立派な歴史的事実があったのだとつくづく思い知らされます。イラン・イラク戦争時のトルコの行動はすばらしい。
昨年テレビでこのことを紹介されて心が揺さぶられる思いです。それまで殆どこのことを知らずにきましたから。
2度目の旅行で拙いHPをUPしました。
トルコとの友好を少しでも進めればと思っております。

Posted by: yahoosakura | June 12, 2005 01:29 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference エルトゥール号遭難事件:

« 働きながら大学教授になる方法 | Main | 浅間山の噴火と鎌原の悲劇・復興 »