泰阜村の「無駄遣い」
最近、新聞紙上で、財務省が調べた地方自治体の無駄遣いの事例が採り上げられていますが、いくつかの事例が、長野県の泰阜村の事例であることが、判明しています
。「地方行政」という時事通信の冊子に載っています。10月28日号です。
・国の歳出では認められていない個人資産の形成の助成に関して、泰阜村は、住宅の新造改築に定額百万円、Iターン・Uターンで建設する場合は上限が150万年にアップ。
・レクレーション関係では、泰阜村は村内に十年以上住んでいる若者に50万円を上限に海外旅行奨励金。
・結婚仲介関係では、泰阜村が結婚仲介奨励金として、村民に結婚相手を仲介・紹介した場合、一組につき5万円を交付。
というものです。泰阜村は、確かに交付税で成り立っている村ですが、ユニークな福祉行政で福祉の経費を大幅に節約している団体として結構有名です。恐らく、そちらで節約した経費を財務省が指摘する事業に使っているのだと考えられます。過疎化の進む村の崩壊を食い止めるために、必死に頑張っている姿が私には目に浮かびます。
今回のアンケートは財務省が各自治体に行ったものです。恐らくこのような形であげつらわれ、地方交付税を2カ年で7.8兆円削減される理由に使われるとは、露ほども思わなかったでしょう。
泰阜村の村長さんや村民が、こうした情報の扱いを知らされたら、何と思うでしょうか。そう思って、泰阜村の関係の方に思い切って話を伺ってみました。そうすると、以下のような情報を頂けました。
・問題となっている支出については、多くの過疎山村が実施している事業だと思います。
・好評は、住宅補助金と出産祝い金です。ここ10年くらい、I、Uターンで25家族、80人くらいが泰阜村の新住民となっています。その皆さんのうち、6家族ぐらいが泰阜村へ家を新築いたしました。そのとき、この補助金が役立っています。
・その財源ですが、泰阜村では、一般財源を使わず、ふるさと創生1億円の残金を元に、その後、交付税で配分されたふるさと創生分を積立て、その基金から支出しております。特目基金としての「ふるさと創生基金」は、現在1億9千万円保有しております。この1億9千万円を原資にして、この基金ある限り継続したいと考えていました。
・ふるさと創生、すなわち現在いう「地域再生」と同じだと思うのですが直接個人補助をしてまでも、人口流出を食い止め、転入者を増やし、過疎に歯止めをと考えなければならないほど、深刻な状況でした。というか、状況です。
・少しでも効果があれば、何でもやってみる、という考え方です。その支出をするためには、他の支出を抑えなくてはなりません。限られた財源の中での工夫であると思います。
・しかし、地方交付税堅持も含め、我々の主張も、ある程度国民理解を得なければなりません。人口2200人の山村では、あまりに無力ですが、一方で、泰阜村の事例を取り上げられるほどなのですから、正しい情報発信をしていかねばと思っております。
・このような直接補助をしても、守ろうとしている我々がいる限り山村は維持されますが、この三位一体改革での財務省の言い分はその維持を不可能にするものです。
・ほんとうに、山村の生死をかけた地方財政計画攻防だと思います。総務省が戦いやすいような行政運営をしなければなりませんが無駄遣いも含め、足を引っ張るとしたらまことに残念なことです。
・過疎対策、山村振興等の課題を、いま一度考え直してみます。
このようなやりとりの背景について若干解説を試みます。
10月26日(火)の第4回国と地方の協議の場の議事録が、官邸ホームページにアップされています。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kunitotihou/dai4/4gijisidai.html
この中の地方6団体資料で、財務省が提案した2カ年で7.8兆円の地方交付税カットの地方自治体毎の影響額が試算されています。泰阜村所在の長野県は県分と市町村分で併せて現時点の水準に比べ2カ年で1400億円以上の交付税減額になるとの試算が示されています。
財務省の「7兆から8兆に及ぶ地財計画の不適切な過大計上を18年度までに是正・削減するということが背景にあり、その理由として現在の地財計画の歳出はさまざまな過大計上の問題がある」との主張があるのです。そして、その理由として、泰阜村の例をはじめとして「地方の無駄」の事例が「有効に」活用されています。
天下のマスコミも、例えば10月29日の某全国紙の社説に見られるように、「財務省は自治体が国からの交付税を原資に、過剰なサービスをばらまいていと指摘。交付税の大幅削減は避けられないだろう」と断言しています。
財務省が国会筋や記者レクで使っている資料には、「個人住宅への助成」や「お見合い助成」などが無駄な例として「表現豊に」描かれています。
確かに、内容によってはおかしなものもあるかも知れませんが、財務省が言うように8兆円近い無駄遣いがあるようなものでは全くなく、私には桁違いの削減額をふっかけているとしか思えません。
マスコミは、国庫補助負担金を一般財源化した場合の不安として、今後交付税が少なくなることが懸念、と言いながら、社説で、「交付税削減が不可避」と、まるで交付税削減を支持するような論を述べるというのは、いかがなものかという思いもします。
国と地方は、公経済を支える財政単位として、協調して歳出削減に取り組むのは当然です。一方的にどちらかに支出の削減を強要するのはおかしいと思います。
財務省は、地方に任せると何をするか分からない、財政当局がきちっと査定しないと駄目だ、と言っていますが、郵便貯金で集めた金を、せっせせっせと無駄づかいしてしまったのは、国の査定を経た事業だったことも忘れてはなりません。地方に任せられるところは任せ、無駄使いは住民の目でチェックさせることが、地方分権の思想で、それこそが真の構造改革だと考えるのがこれからの時代の正しい考え方だと思います。
目くらましの「無駄使いリスト」を鵜呑みにして、財務省の術中にはまらないように、気をつけなければなりませんが、長野県の山村である「泰阜村の事例」が、中央政府の中で地方財政のマクロ議論とこのような形で結びついていることに、世の中の奇縁も感じます。
さて、本当は、このような中傷を早々に切り上げないと、国と地方お互いの信頼関係が壊れてしまうことを懸念します。真の財政再建は、相互不信からは生まれません。
The comments to this entry are closed.
Comments