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October 11, 2004

サル化する日本人

2004/10/11 はじめてブログに参加しました。以下ははじめての記事の書き込みです。

過日、京都大学霊長類研究所教授の正高信男氏の話を伺う機会がありました。「私の教育論」という演題です。サル社会の研究を通じて教育問題への問題提起を行っておられる方です。

著書として「ケータイを持ったサル」というベストセラーがあります。

携帯電話の普及が、携帯電話を作った人の予想を超えた使い方をもたらしており、日本ではそのことが家族の崩壊に繋がりかねないと警鐘を鳴らしておられました。

正高教授によれば、固定電話の時代は一家に一台で家族単位の情報集約が出来、子供の生活実態もそれなりに把握可能であったものが、親とか家といった「窓口」を通さずに、子供が自由に行動し始め。子供だけの世界を持つようになった。最早、空間的に近いということは、「一緒にいる」保障でも何でもなくなった、というものです。

そこで、本の題名に繋がるのですが、携帯の普及そのものは、必ずしも子供の「サル化」をもたらすものではなく、北欧などを見ると携帯の普及率の高さは、だらしなさと関係ないことが分かる、と指摘しています。

「サル化」とは、容易に想像がつくように、NEETや引きこもりといった自らの世界に閉じこもる若者やそれと対極に公私の区分の出来ない、靴の踵を踏みつぶし、スカートをはいたまま地べたに座り込む女子高生などの若者の生活実態のことを指しています。

公私の区分とは、きりっとした服装や靴をきちんと履くことで世間に出る覚悟が出来ることから始まる、という分析です。それが出来ないと、公の人間として行動することを拒否しているということになるのだそうです。欧米と日本が違うところがそこにあるとの論です。

日本人の場合は、そこに携帯電話が加わったので、24時間自らの世界に埋没できるようになった、ということなのだそうです。

何故日本の場合はそうなのか。その分析が正高教授の学者としての真骨頂になっています。教授の調査では、日本人の3歳から5歳のこどもは攻撃性が少なく、怯え度合いが少なく、社交性が高いのに対して、米国は、攻撃性が高く怯え度合いも高く社交性も低いのだそうです。

要は、日本人は学齢期までは「良い子」で育つ。米国では母親が働きに出るなどして攻撃性が高まる傾向があり日本はそうではなく、このことはよいことだとされてきた。しかし、実はこのことが子供の親離れを妨げ、母親の子離れを遅らせ、ひいては自立できない日本人を大量に作り出している原因だと指摘しています。

よい子は親の期待どおりに行動しようとする。米国の子供は親の期待など無視して自由に行動し親と対立する。挫折すると仲間内で思いを遂げようとする(take initiative)。日本の子供はそれをしない。親は子供に辛い思いをさせないように育てる。「お前にはあらゆる可能性がある」と万能感を与え続けて育てる。そのまま思春期に移行し、そこで人生初めての挫折感を味わうことになる。それを乗り越えられない若者は引きこもる。

引きこもりは男性が多いようですが、男の子は責任があるとされているので、責任を感じて引きこもるのだそうです。女の子は、挫折により、とにかく毎日が楽しければいいやと開き直るので、公の場でも私を通し、だから電車の中で大声で喋ったり、化粧をしたり、スリッパ代わりにかかとを踏んだ靴で外出し、寝間着のような服装で外出できる、と分析観察しています。

そうやってパラサイトシングルに落ち入る。パラサイトシングルは見果てぬ夢を追求するタイプが多い。心の成長がない。夢が叶わなかった場合の答えを持っていない。普通は、プロ野球の選手には無理だから社会人になろうと諦めるが、そういう妥協ができない。自立感がないし、子供を持つことなど考えない。自分が依存しているので人に依存されることなど考えられない。ましてや世代間の助け合いである年金の掛け金を収める気には到底ならない。そういう
引きこもりが100万人以上日本に入る。「津波」と同じく「引きこもり」はそのまま英語として通用している。今や、外国人の日本研究の一大研究テーマになっているのだそうです。

日本では自立を促す教育をしていない。学校も親もしていない。いじめはストレスが原因で起きていると教育学者は言っているが、実証的ではない。受験ストレスで大変なはずの中学3年生ではむしろいじめは減る。日本の教育は、ストレスの後送りをやっているので、ストレスに強い子供が育たない。人間は辛い思いをして脱皮して一人前になるのに、そのプロセスが無い。ストレスに強い子供を育て、自立心を育める教育を行わないといけない、と強調しています。

昔は、回りに不特定多数の大人がいた。これがコミュニティーの中で子供を育んだ。そのコミュニティーが無くなり親と教師以外の大人との接点が無くなった。この点も問題を増幅していると指摘しています。

この現象は、ニホンザルの集団と似ている。群だけで生活しているサルは、母親から離れずに育つ。社会が狭い。日本はサル化している、ということになるのだそうです。

如何お思いでしょうか。私には、教育論に一石を投じる議論のように思えます。過剰に子供を守るのだ、という意識がかえって子供の自立を妨げることに繋がっている、との意見。一方で、何事も程度問題のようにも思えます。


「ケータイを持ったサル」(中公新書)もお読みいただければと思います。


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